こそだてのコト

子どもの心を持つということ。大人が忘れてしまうものとは

こんにちは、管理人のモロです。

今回は「子どもの心」について書いていきたいと思います。

皆さんは、自分に子どもの心が残っていると思いますか?
ちなみに私は、残っていると思っています。(あくまで自己評価ですが)

「子どもである」ということは、大人としてはあまり良い意味に取られないかもしれません。
でも「子どもの心」については、ある意味ですべての人が持っていていいものだと思っています。

子どもの心って、なんだ?

そもそも子どもの心って、どういうものを指すんでしょうか。
私は「物事を純粋に楽しめる心」だと思っています。

時間も忘れて、夢中になってブロックをしたり、ゲームをしたり…そんな感覚です。
大人になると、いろんな事情が絡み合って、なかなか純粋に物事を楽しめなくなってしまうことがありますよね。

私は子どもの頃、ゲームが好きでした。
とにかくずっとゲームをしていたいと思っていたほどです。

でも大人になると「こんなことやっても時間の無駄やわ」とか感じるようになってしまって。
あの頃の、純粋にゲームを楽しめる気持ちはどこへ行ってしまったのか…(笑)

寝る時間も惜しんでかじりつくようにゲームをしていたあの頃には、もう戻れないんだろうなと思っています。

大人と子どものちがい

純粋に物事を楽しめる子どもと、どこか冷めていろんなものを見てしまう大人。
この違いは、どこから来るんでしょうか。

まず考えられるのは「大人はいろいろと経験してしまった」ということです。

大人になるまでの過程で、いろんなことを経験して、たくさんの知識や情報を手にします。
それに比べて子どもは、まだ世の中のことをほとんど知りません。

何をすれば、何がどうなるのか。
それを自分の体を通して経験し、積み上げていく。
新しい世界がどんどん開けていく感覚。

今までできなかったことが、どんどんできるようになる楽しみ。

子どもの心を支える裏には、そんなものがあるように感じました。

子どもの心を持つ大人

大人とはいえ、すべてを知っているわけではありませんよね。
まだまだ知らないことだらけだし、できないこともたくさんある。

それなのに、どうして子どもの頃のようにワクワクした感覚で、目の前の物事に向き合えないんでしょうか。
ここについて私は「自分の限界を、自分で決めてしまっている」ことが関係していると思いました。

新しいことを始めるにしても「自分はこんなものだ」とか「どうせできない」と、自分の幅を決めてしまう。
そして失敗したら「やっぱりできなかった」で終わってしまうんです。

子どもの頃にワクワクしていた感覚を思い出すと、そこには限界という概念がほとんど関わってこなかったように思います。

「あれ、できそう…!?」とか「これ、いけるんちゃう!?」という感覚があって、どうすればその壁を突破できるかしか頭になかった。
失敗したら挑戦して、また失敗したら挑戦して。
そんな繰り返しが、夢中の原動力だったように思います。

そういうこともあって、私は基本的に「やればなんでもできる」と思っています。

もちろん、大人になると時間的な制約も出てきます。
今から努力してプロ野球選手になれるか、と聞かれると難しいですけど、野球がうまい人にはなれると思っています。

何かに夢中になるという感覚は、充実感にもつながると思っていて、「自分はやればできる」という感覚でいろんな物事に向かうことが大事なのかな、と感じました。

まとめ

私は今、双子を育てています。
日々どんどんできることが増えて、夢中になって遊ぶ彼らを見ていると「羨ましい」と思う反面、「負けてられないな」とも感じます。

私は、自分の限界を自分で決めて、やる前から「こんなものだ」と諦めてしまうようなパパにはなりたくありません。

子どもたちにとって、なんでもできるカッコいいパパでありたいし、「パパにできるんだから、僕たちにもできる」という感覚を持ちながら成長していってほしいと思っています。

そのためには、私自身が常に挑戦し続けて、自分のレベルを上げていかないといけないなあ、と感じるわけです。

少し話が逸れましたが、皆さんも一度「子どもの心」を思い出してみてください。
もしかすると、これからの毎日が少しワクワクするものに変わるかもしれません。

同じように子育てしてるパパ・ママの参考になれば嬉しいです。
それではまた。

  • この記事を書いた人

モロ

明石市在住、双子のパパです。 写真を撮ったり、文章を書いたりしています。 人の人生を本にまとめる仕事をしています。 お仕事のご依頼はお気軽にお問合せまで。如(にょ)。

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